北方先生 |
「湾岸戦争のときにアメリカ軍が50万人、クウェートから上陸してね。その中の8割は志願兵だった、って言うからね。志願する前に言われてたのは、砂漠にトラップも一杯しかけてあって、近代戦なんか通用しない、本当にね、地獄の、泥沼の殺し合いになる可能性がある、とまで言われてたんだよね。それでも手を上げていった。ま、行ったらたいしたことなくて、全部一気に制圧しちゃったんだけどね。
だけどもね、『そういう場所かもしれない』という場所に手を上げていった人間と、あのとき冬だったんだけど、スキー場で『ピンポイント攻撃はスゴイねー』なんて言っているヤツとが、あるところで一対一で勝負しなければならない、なんていうときになったら絶対に負ける。絶対に勝てない。」 |
インタビュアー |
「う〜ん。」 |
北方先生 |
「一回さ、俺は死んでもいいから、きちんとやるんだ、という場面に立った人間は強いよ。いい悪いは別だよ、でも、そんな強さを今の日本人は失っている。スポーツの世界なんかね、ほら、女子マラソンのさ、」 |
インタビュアー |
「高橋尚子さんですね?」 |
北方先生 |
「うん、スポーツの世界にはちょっとあるよね。でも大多数の日本人は、『自分は何か』、ということを問い詰めていない。とことん、問い詰めていない。だから、生きることの意味を問い詰めてない。『たのしければいい』と思っている。そういう傾向が若い人にはあるよね。
そういう人たちに対するメッセージが水滸伝にあるとしたら、もう一回生きることを問い直そうよ、自分が駄目だったら。、もう一回母の胎内に戻ったような気分で生まれ変わってみようよ、男と男は何かってことをちゃんと理解しろよ、ということなんだよ。
僕はね、男と男の場面はいくつも書いているんだけど、楊令(ようれい)という少年がいるんですよ。」 |
インタビュアー |
「はい」 |
北方先生 |
「楊令という少年はね、楊志(ようし)というヤツが拾ってきた少年でね、両親を目の前で殺されたことがある。それを楊志が養子のようにして育てるわけ。その楊令、楊志、その妻がだんらんをしているときにまた襲われるわけ。
楊志がね、一人でそれを守ってね。楊令にとって、今度はその義母が死んでしまう、養父が立ったまま死んでしまう、飼っていた犬も死んでしまう、という状態で言葉を失ってしまうわけ。」
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インタビュアー |
「両親を2回失ったようなもんですよね。」 |
北方先生 |
「そう。だから、言葉は失ったけど、もう、『強くなりたい、強くなりたい!』って思うんだよね。その楊令を鍛えるときに、林冲は打ちのめす、打ちのめす!徹底的に打ちのめすんだよ。
それでも立ち上がってくる。
また、打ちのめす。
これは、林冲はね、楊令を幼いけれど、一人の男として認めているんだよ。途中から加わった女が『やめてください』と言うのも、『どけ』と言って、打ちのめす。
楊令だって、女の人の陰に隠れることはしないんだよ。
最後にね、林冲は騎馬隊を指揮するってことで配置がえになるんだけど、その最後の稽古で打ちのめす。
ほとんど立ち上がれなくなったときに棒を捨ててね、ギュッと一回だけ抱きしめる。
これが男と男なんだよ。」
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インタビュアー |
「う〜ん。」 |
北方先生 |
「それで楊令はね、自分がきちんと男として扱われた、とわかるんだよね。
そういう形で子どもを扱っている大人はいないよ。
なんか金をやればいいと思っている。
俺はねえ、娘しかいないんだよ。下の娘が剣道三段、上の娘は(極真空手全日本チャンプの)田中健太郎の弟子だけれど(笑)も、これが男だったら張り倒しながら育てているね。『世の中一般の父親がどうだ、こうだ』と言われても『俺はこうなんだ』ってね、自信を持って言ったと思うな、小説を書くことによってね。」 |
インタビュアー |
「なるほど。」 |
北方先生 |
「そういうものを大人は持とうよ。たたきのめしてでもね、自分と対等に扱って、そして子どもを抱きしめてやるやさしさも同時に持っている。
相手を認めるからこそ、たたきのめさなくちゃならないんだよね。そういう甘くない強さみたいなものを、大人は持とうよ。
若いやつらはもう一回自分の生きる意味をきちんと問い直して、もう一回生き方を考えてみようよ。ってことだね」 |